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クレハの新規事業を育てた岩崎社長
クレハの岩崎隆夫社長が現職で逝去した。同社初の技術畑の社長であり、PPSを基礎研究から手掛けたほか、リチウムイオン電池負極材の開発にも初期段階から関わった▼報道陣に対しても非常に快活で、分かりやすい比喩を用いながらの説明には定評があった。次世代のクレハを支える代表選手であるポリグリコール酸(PGA)と負極材についても「息子と娘」と表現。家に残って跡継ぎとなるPGAは息子で、他社との共同出資会社を設立して世界展開を図る負極材は嫁に出す娘と呼んだ▼なかでも「車載用途の本格拡大に備え、日本連合軍を作って勝負する」としていた負極材は、産業革新機構が参画し、いよいよ日本連合として動き出すという矢先の訃報だった▼震災対応でも手腕を発揮した。昨年3月と4月の2度にわたる大地震により主力工場が被災したが、岩崎社長はいち早くいわき(福島県)の地での復興を宣言。工場および地域の再建に向けて陣頭指揮を執った▼2008年に前立腺ガンを発症した。その後ほぼ完治したかにみえたが、今年に入ってから再度悪化。社長業の激務の合間を縫って治療に努めていた。社長を退く9月には退院していわきの自宅で静養しようと家族と話していたが、様態が急変。25日に帰らぬ人となった。岩崎氏の早すぎる死が惜しまれる。合掌